ヨーロッパ放浪記   〜  酔うロッパ放労記  〜


1 《前口上》 やっとその位のレベルになれたんだ

わかっちゃいたものの、その日は来た。
友人ヤマコは「卒業おめでとう!」と電報をくれた。

毎日毎日同じことの繰り返しの、家庭と仕事の二面(りゃんめん)生活は一番安全で、
我慢さえすればいいと思っていた。
結婚して、子供が2人いる以上、自分はその責任をまっとうせねばと言い聞かせていた。
バブルがはじけて10年くらい経った、地球が無事だった翌年、
ノストラダムスは私に、人生の再出発を言い渡した。
3ヶ月が過ぎ、42歳になって2日たった平成12年3月25日、
13年半お世話になったその会社を去った。

「やっと楽になれる・・・」
「これで、本気で考えられる・・・」

と、負け惜しみ混じりのどーでもよい気持ちで去った。
いつもそうなんだ
能動的に動かない、なんでも他人のせいや、世の中のせいにして後手後手で来てしまった。


ケッコー退職金は出たのだが、ほとんどσ(^_^)がこさえた株や遊びの借金の返済と、
好きなパソコン(オークションで買った)に消えてしまった。
これからどうするあてがあるわけでもない。
ヤマコが海外ゆけ海外ゆけとウルサイくらいに言うのだが、いまいち、乗り気になれず毎日毎日、
身の回りの整理だとか言ってパチンコとケーバに明け暮れていた。
会社都合なものだから、ハローワークはすぐに失業保険を出してくれた。
給料もよかったものだから、結構その保険だけでも家に入れて210日間じっくり考えればいいと思った
4週間に一度、ハローワークへ顔出して
「この28日間、働き口をさがしたけど、見つからず収入はありませんでした」
と報告をすれば、時節柄驚くべき大勢の人達とともに流れ作業のように失業保険は貰えた。
こんな経験というか風景、漫画で見て知ってたけど、まさか自分がなるとはねえ・・・。
なんでも経験、とか言って、いつも自分を許してきたけれど決していいものじゃない。

ま、でもいつまでもこうしてはいられない・・・。
悶々とした日々ともオサラバだ・・・。
と心に決め、ヤマコに
【25日間のヨーロッパへの往復チケット】と
【ユーレイルパス15日間】を
とってもらい、
言われるがまま、行けばツキも変わるかもしらん(まだ受動的)
ひょっとして行けばなにか変われるかもしらん、
と実に安直な考えでこの表題の準備へとあいなったのである。

家族の仕合せ(幸せではない)をほかっておいて、外面だけはよいお人よしの自分は今回の件、
相変わらず勝手に自分だけで決めて自分だけよい思いをしに行く気持ちが後ろめたかった。
人生修行と名打って、よーするに遊びだもんな
だから先立つものもなく、ビンボーで行くしかない、これが最大のいいわけだ
家族の犠牲の上に成り立つ、私のわがまま 許せんなあ
でも結局行けた(行かせて貰えた)ということは私は実に幸せものなのです。
最後の最後に結びたい、人間感謝、これに繋がるんですねえ

さてその準備について

いつものことながら、形からはいる
「地球の歩き方」から始まり、「ヨーロッパ格安で泊まれる宿」、「海外旅行の王様」、「海外旅行のウラ技」
といった具合にけっこうその手の本は買いあさった
インターネットや@ニフティのフォーラムもくどいほど見たり尋ねた。

あとで思ったのだが、こういう手の本を買うより、
世界史をやらなかった者は絶対にヨーロッパ史を勉強していくべきだ
あといっぱいヨーロッパの歴代の人物を知っておくべきだ
でも、なぜヨーロッパなのか
別にどこでもよかったんだ、本音はね
”やけ”という言葉が実に合ってたような気がする
海外は、会社で行かせてもらったUSAの21日間、盟友(悪友)4人でいったカナダ
ウィスラーのスキー(その後2回もリピーターしている)、あと家族で行ったセブ島と、
全くの初めてでもなかった。
が、その全てはじめての新鮮さこそないものの、旅中、起きる様々な出来事は、自分を試すには十分すぎるほどだった。
(以降、順次書いてくべ)
恥ずかしいかな、ヨーロッパの国々の位置関係すらおぼろな自分は、学校の社会科大嫌い人間であったのだ。
だから、「旅には目的がないといけない」なんて文章を見たときは、
うーん、おれにはビールと絵があるじゃないか(一応、高校のときは美術部部長だったもんね)と言い聞かせた。
以上、こんな感じで、結局はヤマコのすすめるヨーロッパ(酔うロッパ)とあいなったのである。

「こういう放浪はホントは学生のうちにやるべきことだったんだろうなあ」

と言ったら、

「おまえはやっとそれ位のレベルになったんだ」

とヤマコに言われた


(以下次号へ続く)
次号 2.出発から英国HEATHROW空港まで


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